私と日本第一党 第二十二話 悲しみを乗り越えて | 右寄進のつぶやき

党員のみなさん、久しぶりに寄稿文を投稿します。

 

東京・南千住駅を西口で下車し、線路伝いに日暮里方向に歩くと、大通りの向こうに寺院がある。

寺院の入口の掲示板にポスターが貼ってあり、このポスターを目にすると切ない気持ちになる。

そのポスターには、子供と思われる人物が墓石に向かって手を合わせている。

ポスターには、「いつかまた会えるよね」との文字がある。

ポスター自体は明るい描写ではあるのだが・・・

 

昨年6月に、職場で非常に親しくしてくれた女性が亡くなってから一年が経つ。

今でも彼女を忘れることができないのは、それだけ親しい間柄であったからだ。

私は彼女の前では、いつも笑顔でいることを心掛けていたが、以前と違うのは「と〇○さん、俺がピンチの時も、天国からただ見てるだけでいいからね」と思っていることだ。

 

これは何を意味するのか?

 

自分の面倒な事に、天国にいる大事な人を巻き込みたくないだけである。

しかし「俺がそっちに行った時は、また仲良くしてね」と心の中で思っている。

一年経っても心がスッキリしないが、前向きに明るく生きて行くことにした。

彼女もそう願っている筈だ。

 

そこで私は考えた。

「ん~これからどうしよう」色々悩んだ挙句結論に辿り着いた。

人生80年、残り61年の人生はリッチに過ごす。

勿論第一党員が選挙に出馬する際には、莫大な選挙資金を負担できるようにしてあげたい。

 

「一体何をやるの?」

 

「埋蔵金の発掘です」

 

自分一人では到底出来ない事なので、第一党の党員の協力が必要である。

その前に、日本における埋蔵金についてネットで調査をしてみた。

すると面白い情報が見つかった。

昭和31年 東京 銀座の小松ストアーの工事現場から、慶長小判と享保小判や一分金が発見される。

昭和38年 日清製油ビルの工事現場から天保小判や天保二朱金が発見される。鹿島清兵衛が隠したと思われる埋蔵金が発見される。

 

そこで私は徳川埋蔵金に着目した。

徳川埋蔵金とは、幕府が大政奉還の際に、密かに隠したとされる徳川家の財宝である。

テレビ番組では、赤城山山中をショベルカーで掘り起こし、何も出なければ更に深く掘り下げることをしているが、この作業はナンセンスで、150年前にそこまで深く掘ることは不可能です。

 

もっと簡単な場所にあると思う。

つまり何百年経っても他人の手が加えられない場所(神社仏閣)である。

You tubeの都市伝説で検索すると、日光東照宮の〇○○の下にあるらしいと言ってる人がいるが、これは違うと思う。

なぜなら、隠すところを人に見られてしまっては意味がないからである。

考えられるのは、五街道沿いにある徳川家と縁の深い寺にある筈である。

その寺は、大政奉還以降に、この財宝で大規模な修繕改築を行った可能性のある寺で、今でも葵の御紋を使用していると考えられる。

よって、その寺の地中に徳川埋蔵金がある可能性が高く、そして一か所の寺ではなく、幾つもの寺に財宝を分散した可能性も高い。

 

みなさんの住んでる自宅近くに、そんな寺はありませんか?

 

「選挙には、何が何して何が必要なんですよね~」

 

党員のみなさまの情報を、心よりお待ちしております。

 

PN.右寄進

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