私と日本第一党 第二話 故郷の思い出 | 右寄進のつぶやき

何年前になるだろう。20数年前のことだと思う。

仕事で長野県に行った時のことである。ま~当時は長野に限らず、一日で片道100キロ以上の道のりを走っていた頃だ。

朝は5時出勤で、事務所に戻るのが夜の7時から8時になることもザラである。それから現地での調査事項を書類にまとめる。だから家に帰る時間は日付が変わる時間になる。

最も最悪なパターンは、帰りに首都高速を利用しなければならないことである。

3号渋谷線にしても、4号新宿線も夕方は大渋滞。スマホもネットもない時代。情報は各SAの掲示板と、道路上にある掲示板だけだ。渋滞部分が赤と黄色で表示されている。

確か赤が大渋滞だったと思う。C1合流地点の江戸橋JCTは、上下線よく渋滞する地点だ。江戸橋JCTといえば、日本の経済の中心地兜町。東京証券取引所がある場所で有名です。

ここは本線への合流が難しく、根性悪い絶対道を譲らないバカ野郎ドライバーもいる。今だったら「テメー それでも日本人か~」って言いたくなるくらいだ。

ETCもない時代で、料金所の前後もよく渋滞していた懐かしい時代だ。そんな大都会東京を通り抜け、やがて会社に辿り着く。

そこからの仕事が凄い大変なのは想像がつくでしょう。

事務所はビルの2階にある。道路を挟んだ向こう側にスナックがある。たまに一日中事務所にいることもあるので、スナックの営業時間は夕方6時から12時位まで営業なのは知っている。一方こちらは、真夜中の2時か3時の時も度々あった。

ここで私が何を言いたいのか想像がつきますか?

つまり、こちらは朝5時から真夜中の12時以降まで仕事。つまり「オレは、何時間仕事してンだ」と怒りが湧いてくるのは誰もが納得すると思う。

日本の中小企業なんて、みんなこんな感じなのかな?

それでもって、残業代はカットされる。例えば夜間の長距離バスの運転手もそうだ。お互い大変な仕事だ。労働組合は、ちゃんと企業との賃金交渉をやっているんだろうか?

そんな忙しい時代があった。

私にとっては、非常に不愉快なバブルの絶頂期である。勿論金回りもよく、遊びに行く時間がないから、そこそこの金を持っていた。

「あ、スイマセン。つい愚痴を言ってしまいました」今回のタイトルは 故郷の思い出 でしたね!私の愚痴は終わりにします。

え~長野県に行った時の話でしたよね?お昼に仕事仲間と食事しようとなりまして、どっかないかな~って国道18号を走っていると、とんかつ屋があった。

「あ~あそこにしよう」ってことで、この日のお昼はとんかつ屋に決定。中に入りとんかつ定食を注文し、待ってる数分間仕事の打ち合わせをする。

「んじゃ~ それオレやっておぐがら」「お~おめは、あどで書類まどめでおげよ」「あ、ほ~が~ いやどうも~」なんて会話をしてると、やっととんかつ定食のお出ましだ。

店の奥さんが調理場からでてきて、「あの~ お客さん 関東の人ですか?」わたし「そうですよ」すると「関東のどこですか?」と尋ねてくる。

茨城だと答えると、「え~~ わたしもそうなんです。なんかそれっぽい言葉だったから~ 懐かしい~ わたし●○●の出身なんです」と言ってきたので、「んじゃ おらえの結構近ぐだっぺな~」。

ここで本当の茨城弁をお聞かせ出来ないのが非常に残念に思う。

その店の奥さんは、実家にしばらく連絡していないらしく、今日は久しぶりに電話してみると言っていたのを記憶している。

ん~自分の何気ない言葉に対し、そんなに嬉しく思ってくれる人がいるなんて不思議な気持ちになる。なんか今日のオレは、いいことをしたのかな?って思えてきた。

誰にでも思い出はある。特に幼少期の思い出は消えることはない。どこにでもある日本の田舎の風景。それが頭の中をよぎったのかもしれない。

じいちゃん ばあちゃんがいて、若かりし頃の おとうちゃん おかあちゃん 今となっては じいちゃん ばあちゃん となってしまったが、そして幼い時の自分がいて、そんな子供の頃の思い出が甦ったじゃないかと思う。

誰もが振り返るときがある。

子供の頃に帰りたい。人には、幼少期に対する思い出が誰にでもある。

右寄進の長野の思い出。

最後に愚痴を一言いわせろ。

この日も夜中12時まで仕事をしていたのを思い出しちまったぜ!

PN.右寄進

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